日本のプロ写真家センセー
tatsumi908-9_20080205215756.jpg
Shirakawa Tatsumi-bashi, Kyoto (2000), Contax N1, Vario-Sonnar 24-85mm 1:3.5-4.5

京都の白川南通、巽橋あたりは、観光のスポットであり、この場所が上の写真のような静かな瞬間を「自然に」持つことは滅多にありません。カメラを構えた観光客がぎっしりで、その人たちがいないのは、たくさんの助手を引き連れたプロ写真家が、人払いをして撮影している時ぐらいです。そんな時にアマチュアがカメラを取り出そうものなら、助手がすっ飛んできて、ダメダメダメと怒鳴られます。

人払いをしたり、逆に傘を持った舞妓さんに歩いてもらったり、花びらを蒔いたり、水を蒔いたり、ライトをあてたり、といったことをしないのを、何故かかたくなに掟のように自分に課しているボクは、所詮アマチュアなんでしょうか。
これは実はずうっとボクを悩ませている難問ではあります。
あるがままを撮る必要はないけれど、あれかしという瞬間をじっと待って撮れ、そのときが来なければ、諦めて去れ、というヤセガマンは、どういうことなんだろう?  野良犬が画面に入るのを待つはともかくとして、子供にアメあげて走ってもらう、落ち葉の配置を変えてみる、程度は許されるのではないか? etc. etc.

そんなとき、アジェとブレッソンとハースを思って、あえて手をかけないという態度こそ大切なのだ、と納得してきてはいます。 現代の写真家の撮影中の姿も外国で何度も目撃していますが、ライトやレフ板を掲げたり、三脚に据えた数台のカメラを先生の「はーい」に合わせて代わりにシャッター押したりする若いアシスタント(ギョーカイではアシスという)を引き連れた姿など、見たことがありません。 日本ではこれがプロの証みたいに思われているようですが。

追記:
ならばあなたは上の写真をどのようにして撮ったのか、というコメントを即いただきましたので、追記しておきます。
ひたすら待ったのです。1時間ほど。もちろん三脚なし。
京都 Kyoto   Comments : 2

何となくヘキサーのカタログを見るような気分で上の写真を眺めていました。落ち着きます。
京都は不案内でココが普段どういう状況か分かりませんが、ご苦労されたのですね。
私も待ちますが1時間とは・・・・・。
ブレッソンも待つんだと言う事を言っていたと思います。あの水たまりの写真も。
しかし絵になったとき、そしてキャプションなしに掲示されたとき、その裏に潜む真実とは別に写真は一人歩きを始めます。
2007/12/05 17:32 | | edit posted by sa55t
sa55tさん
そうです、一人歩きし始めたわが子の後姿を見送るのです。これは、写真もそうですが、書物も、歌も、仕事も、なんでもそういうものでしょう。
2007/12/05 21:14 | | edit posted by NK